癌の怖さとは
癌の怖さはその生い立ちとか正体を知れば解るのよね。
相手ば知らんば、対策の立てようのなかもんね。で、この前の宿題はしたね。
まあ、ちょこっとね。だって、読めば、フンフンと理解できた気になるけど、それを自分の言葉で話そうとすると、むずかしいんだわ。
そんなら、あんたなりに理解したことば言うてみんね。
うん。『癌細胞って何?』でも言ったけど、癌細胞も最初は私やあんたの躰の一部の、たった一個の細胞から始まる。
フンフン。
その一個の細胞が倍々ゲームで増殖をくり返すのは、健全な細胞と同じ。
では、どこが違うか。
健全な細胞は、自分の居場所と任務を与えられていて、増殖を止める時を心得ている。
だけど、癌細胞は一切の任務を果たさないで、とめどなく増殖する。つまり暴走。
それに自分の細胞からできているから、他人には伝染しない代わりに自分の免疫監視にもひっかからない。じゃあ、なぜ、暴走するか。
遺伝子の異常が原因だってさ。つまり、遺伝子が何らかの原因で傷つくのが原因だそうな。
で、遺伝子の異常でどういうことが起きるか。
細胞は、どういう風に成長していくかについて、ちゃんと設計図があるんだって。それが、遺伝子であるDNAに書きこまれている。DNA暗号文が設計図ということ。そこには分裂の回数や細胞の任務とか役割についての情報がある。
要するに細胞は設計図に従って分裂して増殖し、任務を果たす。で、癌細胞は?
癌細胞も同じだけど、設計図がヘンテコリンになっているから異常な成長というか、暴走する。分裂回数だの任務だの、それについての暗号が変化するからだって。
遺伝子の異常、遺伝子が傷つくというのは、DNAを構成する四つの塩基の並びが変ってしまうことだけど、知っとるね?
うん。DNAは四つの塩基からできていることは知っているわ。
どういう塩基ね。
アデニン(A)
シトシン(C)
グアニン(G)
チミン(T)
でしょ。そうデース。その四つの塩基が最高数十億個ならび、相同性の二つの鎖がからみあった二重らせんの構造をしているとさ。これがDNAの特徴。
らせん状の鎖がからみあっていることを発見したのは、ワトソンとクリックでしょ? 昔、本で読んだわ。
二本の鎖だけど、互いに引き合う塩基が相対して並ぶとよ。例えば、
一方の鎖:--CCAGT--
片方の鎖:--GGTCA--
つまり、片方がCならもう一方はG、片方がAならもう一方はT、という具合さ。それも覚えていたわ。ところで、細胞が癌化する瞬間を観察した人はまだいないんだってね。
そげんことも本に書いてあったとね。
うん。ビックリしたわ。これだけ科学が進歩して、人ゲノム計画とかで2000年にはヒトのDNAの塩基配列が明らかになったし、癌治療だってすごく進歩したっていうのに、最初の最初の瞬間は誰も見ていない。何か不思議だわね。p>
フフフ。あんたらしい感想だ。で、遺伝子の異常というのはどのくらいの規模だと思う?
知ってるよ。100億個のDNAの暗号(塩基の並び)のうち、たった一個か二個が違っているだけに過ぎない。
言ってみれば、ほんのかすり傷程度だけど、これが癌のそもそもの始まりだと言われとると。
でも、ちょこっと傷ついたら、ぜんぶ癌になるわけではない。でしょ?
人間の躰はようできとって、細胞の設計図にはちゃんと修復機能も書いてあると。
ああ、よかった。
しかし、癌化し始めた段階の細胞もあるとよ。結構大きくなったりしてね。前癌状態まで行ってそこでストップすることもあることはあるんよ。稀だろうけど。
更年期の女性の場合だけど、子宮癌の細胞診をすると、結構、境界線のあたりまで進む場合があるみたいね。
あんたも最初はそうだったね。
会社の健康診断で、子宮内膜細胞診の結果がIIIaになったのよ。でも、しばらくしたら正常値の Ia とか Ib とかに戻ったの。
そういう時間は5年くらいだったかね。
会社でリストラにかこつけたひどいイジメがなければ、癌にまで行かなかったかもしれない。あれはひどかった。
だけど、あんたは何年もきちんと検査を受けたやかね。半年に一度やったね。だから、早期の段階で見つけられた。つまり、あんたの勝ちさ。
だけど、癌になるまで酷い目にあうとはね。だって、癌は他の病気とちがって怖さが違うのよ。
細胞が暴走して増殖しても、その場所に留まれば良性の腫瘍だから、わかった段階で取ればいいけど、悪性の腫瘍、つまり癌は転移するから怖い。
そうそう。そうなのよ。どこに、いつ転移するか、それが怖い。でも、もうひとつ怖いことがあるの。
何ね。
一度癌にかかると、別の癌にかかる確率が普通の人より5倍も高いんだって。それも私には恐怖よ。
まあ、それは仕方んなか。しかし、さっきも言うたばってん、あんたは癌に正面から立ち向かった。それはさ、生き方とも関わっとる。だから、いたずらに怖がるのは、あんたらしくなかよ。
私、心配性なのよ。でも、言われてみると、いざというときは果敢だもんね。
そうたいね。それに、癌というものをあんたなりにきちんと理解しているけん、もし、また別の癌になっても対処できる。
他の癌になるんんてやーだ。
癌にはならんでも、他に病気はいっぱいあるし、あんたみたいに若いときから、あっちこっち悪くなる人は、すぐに病気が見つかって手を打てる。あんまり心配しなさんな。
エヘヘ。そうだね。私はタバコも止めたし、暴飲暴食もしないし、あんたよりは健康的な生活を送っていますわ。オホホ。
よう、言うてくれますね。ばってん、人間、五十代も半ばまで来たら、どこか故障しとると。あんたの早期癌だけがお先真っ暗ではなかとよ。
ハイ、ハイ。
それでは、と。次は暴走した細胞のその先ば勉強してこんね。
わっかりました。ではおやすみ。